シンフォニックバンドを創ろう!
1978年、まだCDは影も形もない、レコード全盛の時代、成田空港がオープンした年。エーデルワイス・アンサンブル・オーケストラというアマチュア交響楽団のメンバー募集記事を見たのをきっかけに中尾さん(創立時の中心メンバー)と出会い、「ブラスを創ろう」と意気投合したのがすべての始まりだった。目指したのは“コンサート中心のシンフォニックバンド”。名称は国立音楽大学ブラス・オルケスターにヒントを得た。7月2日に渋谷の小さなスタジオで初練習。その日見学に来たメンバーを含めても10人足らずで「マスク」などを合奏してみたものの、楽器もメンバーも不足、演奏は未熟。でもバンドにかける夢だけは膨らみ、当時入団したTb水谷君と3人で、連日深夜までバンドにかける夢を語り明かしていた。その年の12月16日、当時エーデルワイスを名乗る音楽団体が集まって九段会館で開催したミュージック・フェスティバルが最初のステージ。
来るもの拒まず、去るもの追わず
当時から“来るもの拒まず去るもの追わず”で入団希望者を受け入れ、メンバーは60人程度に膨れ上がり、1980年6月には渋谷区児童会館での第1回定期演奏会を開催するまでに成長した。(重鎮Tuba黒木君や、現在プロのハープ奏者の市瀬さんがClで入団)
夢と挫折
創立時の勢いと約60人の若いパワーが突き動かし、同じ1980年12月に目黒区公会堂で第2回定期演奏会を行った。だがメンバーの胸には何か悲しみが漂っていた。「楽しいバンド・愉快な仲間、だが素敵な音楽には程遠い演奏」だったのだ。翌1981年には中心メンバーに、故郷へ帰るものや転勤するものが続出。演奏会の計画も立たないままに、練習場を西新宿の貸スタジオ、東京室内歌劇場に定着。
指揮者の守屋さん登場
運営メンバーが喧々諤々の議論の末、バンドを立て直すために“指揮者募集”記事を「バンドジャーナル」などに掲載。そして10月3日、守屋さんが現れた。バンドからの非常識ともいえる要望(「先生ではなくメンバーとして入ってほしい」「楽しさと素敵な演奏を両立させてほしい」)に応えてくれた守屋さんの指揮で、バンドのサウンドがまたたく間に生まれ変わった。(今につながるエーデルワイス・サウンドが誕生!)
“音楽を創りあげることに喜びを感じる素晴らしき仲間たち”
翌1982年1月に守屋さん初演の第3回定期演奏会を朝日生命ホールで、12月25日クリスマスに第4回定期演奏会を都市センターホールで開催。当時故郷へ帰るために退団したメンバーは「エーデルワイスは僕の青春でした」という言葉を残している。
新たな体制でのスタート
毎年メンバーは入れ替わるので、バンドの運営主体(運営委員会&パートリーダー会議)と長期的な継続性(常任指揮者&代表)のバランスを考慮して、1983年から運営委員を選挙で選ぶことに。また創立時の中心であった中尾さんが東京を離れるため退団、第2期ともいえる新たな出発の年になった(Perc安藤君が正式入団)。この年から、定演以外の新たな演奏発表の場を求め、4月に石神井公園野外ステージで“プロムナード・コンサート”をスタートし、1984年からは都吹連一般バンド合同演奏会にも出演することに。
充実した演奏に喜びを実感
金原、高橋、関が率いる強力Tp軍団、Cl平石、Fl原、Sax鈴木など当時のそうそうたるメンバーの集大成が、世田谷区民会館での第5回定演(1983年)。バンダを配した「序曲1812年」を、守屋さんが「エーデルワイスとの絆を深めた演奏、バンドの手ごたえを感じた」と振り返る。またオープニングは、メンバーの荒川善則氏が創立5周年記念に作曲した「讃歌」を初演。
第6回「スペイン奇想曲」、第7回「ローエングリンより」、第8回「ローマの松」、第9回「三角帽子」と、メンバーが充実した演奏に喜びを実感できるまでに成長した。特に第9回の「交響的断章」は、守屋さんに「ステージに上がったら一発勝負、プロでもあそこまではまとまらない」とまで言わしめた。1987年8月から練習場を現在のTISスタジオに定着。(現トレーナーのEuph投野さん、Tb&Arr佐々木君らが入団)
10周年記念イベント
1988年は10周年記念パーティーや、大垣(守屋さんの故郷)市制70周年記念演奏会へ1泊2日の遠征出演。10周年記念演奏会は「展覧会の絵」がメイン。
1989年の第11回定期演奏会。このチラシに初めて“ジャンルを超えると新しい音楽(サウンド)が見えてきた”のコピーを掲げた。これはTb水谷君&Tb佐々木君が、夜を徹してエーデルワイスの魅力を語り合った会話の中から出てきたエーデルワイスを象徴する言葉だ。「オーケストラの荘厳な響きも出せ、フルバンドのジャズの切れ味も出せる。それがブラス・オーケストラの魅力だ」という想いが込められている。名人・平石君率いるClが活躍した「ダッタン人の踊り」がメイン。(重鎮のTp安部君入団、後に代表補佐となるHr田中さんがエキストラで初参加)
成熟の時代へ
1990年3月都吹連合同演奏会、5月相模湖ピクニックランド野外コンサート、9月元住吉ブレーメン音楽祭、10月世田谷区立梅が丘中学校演奏会、そして迎えた第12回定期演奏会は「交響詩 前奏曲」「第二組曲」(リード)がメイン。
1991年。3月都吹連合同演奏会、5月稲毛海浜公園野外コンサート、9月東京ディズニーランドに正式に出演、11月品川区立平塚中学校演奏会と多くの本番をこなした。第13回定期演奏会では「アルメニアンダンス」(全曲)、「ヴォーカリーズ」など。
1992年4月横浜こどもの国野外コンサート、9月日比谷公園野外コンサートに続き、迎えた第14回定期演奏会は「フェスティバル・バリエーション」「組曲 ハーリ・ヤーノシュ」がメイン。
1993年4月水元公園野外コンサート、10月狛江市立第5小学校演奏会を経て、いよいよ迎えた15周年記念クリスマス・コンサート。決意を新たに初めての新宿文化センターで12月25日に「ロシアン・クリスマス」「カルミナ・ブラーナ」をメインに開催。初めて約1000人のお客さんを動員。(現トレーナーのTuba大原さんエキストラで登場)
新たなる挑戦
"コンセプチュアル・ステージ"
1994年の第16回定期演奏会は「吹奏楽のための神話」「詩的間奏曲」「イタリア奇想曲」等を演奏。
1995年から春のアフタヌーンコンサートを開催するようになった。記念すべき第1回アフタヌーンコンサートは、6月に横浜市教育会館で開催。そして第17回定期演奏会では「天使の糧」「ドラゴンの年」「アレルヤ・ラウダムステ」「スペイン奇想曲」という意欲的なプログラムを組む。
1996年4月、狛江エコルマホールにおける第2回アフタヌーンコンサートでは「第一組曲」(ホルスト)、「亡き王女のためのパヴァーヌ」などを演奏。そして迎えた練馬文化センターでの第18回定期演奏会では、“来るべき世界”と題したコンセプチュアル・ステージを企画。“人類の未来”をテーマにした壮大な世界を表現した。
1997年5月、狛江エコルマホールにおける第3回アフタヌーンコンサート。練馬文化センターでの第19回定期演奏会、オープニングは「シチリア島の夕べの祈り」で、第1部フィナーレは「エルサレム讃歌」。第2部のコンセプチュアル・ステージ“STAND
BY ME”ではラブソングを奏で、華麗な照明&ナレーションでオリジナリティーあふれるステージを創り上げた。
"成人"を迎えたエーデルワイス
創立20周年を迎え“演奏会で音楽性を追求する”という方向に活動スタイルを切り替える。異例の7月に創立20周年記念演奏会を新宿文化センターで行い、バンドの原点に立ち返って自分たちの音楽を創り上げた。佐々木君のオリジナル「Take
On The Wind」や「チキン」の第1部では華やかに20周年を祝い、第2部はチェロを加えた「交響的断章」「カンタベリー・コラール」、そしてフィナーレの「交響詩 ローマの祭」を演奏。そして12月の狛江エコルマホールでの20周年記念クリスマス・コンサート。合唱団コールシャンテと「クリスマス・セレブレーション」などを共演。
20周年記念CDを製作
1999年5月、狛江エコルマホールにおける第4回アフタヌーンコンサートでは、投野さん編曲の「夕べの祈り(ヘンゼルとグレーテルより)」などを演奏。12月のティアラ江東での第21回定期演奏会は「二つの交響的断章」「白鳥の湖」がメイン。この年には、20年間のエーデルワイス・サウンドから抜粋して“エーデルワイス20周年記念CD”(3枚組)を製作。
2000年7月、新宿区立富久小学校創立70周年フェスティバル演奏会を行う。第22回定期演奏会は、ホールが予約できず、年明けの2001年1月27日に新宿文化センターでニュー・イヤー・コンサートと題して開催。だが当日は記録的大雪に見舞われ、JRや地下鉄は何とか動いているが楽器運搬車が到着しない。その状況の中、600人ものお客さんが駆けつけてくれた。第1部ポップスステージは投野さんが指揮し、プロの二胡奏者となったOB山平君(Sax)を迎え「ラストエンペラー」を演奏。第2部は守屋さん指揮で「新世界」がメイン。
2001年の第23回定期演奏会は、第1部が守屋さん指揮のクラシックステージで、Ob早乙女さんソロによる「秋の独り言」や「ミシシッピ組曲」などを、第2部はTp川嵜君が演出&指揮をし、“MOVEMENT
2001 KICK the HIP”と題して、従来にないステージを繰り広げた。
2002年、文京シビックホールでの第24回定期演奏会は、第1部が大原さんの指揮で“心に宿る星”と題したポップスステージ、第2部が守屋さんの指揮で、序曲「ピーター・ルー」など、例年以上の充実感を味わえる演奏会となった。
そして四半世紀を迎えた!
エーデルワイスの魅力は“バンドは楽しく、音楽は真剣に”という言葉が象徴している。楽しいバンド&素敵な音楽をめざし、時々のメンバーが試行錯誤を繰り返しながらもさまざまなことにチャレンジしてきた。そんな情熱をかけて、このバンドに夢中になった多くのメンバーが、エーデルワイスを支え続けたのだ。(談:代表・芳地博光)
↑TOP